上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
女王つながりで、悲劇の女王といわれる人でも書いてみよう。


ジェーン・グレイ Jane Grey

生没年:1537年10月12日?~1554年2月12日
即位:1554年7月10日(7月6日)~7月19日
チューダー朝第4代女王

父:サフォーク公ヘンリー・グレイ
母:フランシーズ
 ヘンリー7世の次女メアリーと二度目の夫であるサーフォーク公チャールズ・ブランドンとの娘。
夫:ギルフォード・ダドリー

通称:9日間女王

在位が非常に短いため、歴代君主に数えないこともある。
ドーセット公爵(後のサフォーク公)の長女として生を受けた。
ヘンリー8世はエドワード6世に子供がなかった場合の王位継承について、第二位はメアリー王女、第三位にエリザベス王女、第四位にジェーン・グレイ姫という順序を決めていたとされる。
ジェーン・グレイはヘンリー8世の父親であるヘンリー7世の曾孫であり、チューダー朝の名門貴族の姫君だった。

ジェーン・グレイはヘンリー8世の第6王妃キャサリン・パーの薫陶を受けたプロテスタントで、エリザベスとは学問上のライバルであった。
学識に優れ、プラトンの哲学書をラテン語で読むほどのインテリである姫君として内外に知られていた。

エドワード6世に嫡子がなく、また異母姉であるメアリーとエリザベスが厳密に言えば(メアリーの母、キャサリンもエリザベスの母、アン・ブーリンもともに離婚されているため)庶子にあたり、王位継承権がないとすれば、ジェーンの王位継承は十分にありえた。
このこのことに着目したウォーリック伯(後のノーサンバランド公ジョン・ダドリー)は、エドワード6世の保護卿として政権を握っていた政敵であるサマセット公(エドワード6世の母、ジェーン・シーモアの兄。弟のトーマス・シーモアはヘンリー8世の最後の王妃キャサリン・パーと再婚しており、エドワード6世の結婚を画策するなど王権への介入を狙い、1549年に処刑、この「シーモア事件」を攻撃材料とし)に反逆の汚名を着せ、処刑した後、自分の四男のギルフォードとジェーンのを結婚させた。
ジョン・ダドリーの最終目的は、ジェーンとギルフォードの間にできた子を王位継承者にすることであった。

1554年、幼少時より虚弱であったエドワード6世はもう先が長くないとされた。
ジョン・ダドリーは王位継承のライバルであるメアリーがカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントのエドワード6世を説き伏せ、病床の王から、ジェーンへの王位継承を指示する勅令を得た。
しかし、ジョン・ダドリーの不穏な動きはまもなくカトリックの貴族ノーフォーク公トーマス・ハワードの察知するところとなり、トーマスは機先を制してメアリーを所領のフラムリンガム城に匿う。

7月6日、エドワード6世が結核のため崩御。(ジョン・ダドリーによる謀殺とも言われる)
が、ジョン・ダドリーによりその死は10日まで公表されなかった。
エドワードの崩御、メアリーの逮捕、ジェーンの王位宣言という一連の手はずがメアリーの避難によって大幅に狂ったためである。

メアリーの拘束という重要な布石を欠いたまま、9日、ジェーンはジョンよりエドワードの勅命により、王位継承者に指名されたことを告げられる。
この時点ではジェーンはそのことを一切知らず、その場で失神したと伝えられる。

そして翌10日、エドワード6世の崩御とジェーン・グレイの即位が発表された。が、ジョンの策謀は、枢密院の抱きこみを除けば周到な根回しはされていなかった。

突然のジェーンの王位宣言は、旧来の政敵の反発を招いただけにとどまらず、カトリックのメアリーの即位を恐れていた貴族たちさえメアリー擁立へと駆り立てることとなった。
国民の圧倒的な支持もメアリーに集まり、妹のエリザベスまでも姉の支持を表明。結局ダドリーの無謀極まりないクーデターは失敗に終わった。

1553年7月19日にメアリーが即位を宣言、ジェーンらは逮捕された。

ジョン・ダドリーをはじめ、ジェーンの夫、ギルフォード、そしてギルフォードの兄弟ら、ダドリー一族は一網打尽にされ、首謀者のジョン・ダドリーは8月21日、タワー・ヒルで処刑された。
ジェーンらに対する審決は直ちに下されず、その後半年に渡りロンドン塔内に幽閉されたままであった。

即位したメアリー1世は、もしジェーン・グレイがカトリックに改宗するならば、罪を許すと伝えたらしい。
しかし、すでに死を覚悟していた彼女は「もはや自分には二つの宗教の間を揺れ動く時間は残されていない」とそれを拒否した。

王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に二の足を踏んでいたとされるが、スペイン王カルロス1世と王太子フェリペの婚約解消の脅しに屈し、処刑命令を下したという。

まず、ジェーンの夫のギルフォードがタワー・ヒルで処刑された。
ジェーンは夫が獄卒に引かれタワー・ヒルに入り、やがて頭部を失った遺骸が運び出されてくる様を一部始終を、獄窓から涙ぐみながら見つめていたといわれる。

ジェーン・グレイの処刑はタワー・グリーンで非公開で執行された。
ジェーンは毅然たる態度で処刑台に上がり、もやは自分のためには涙を見せなかった。

時にジェーン16歳、ギルフォード18歳だったそうです。
この当時のイングランド国内の宗教対立が生んだ悲劇とも言われる。

ギルフォードの兄弟3人は、後に罪を許され釈放された。
その中の一人、末弟のロバート・ダドリーはエリザベス1世の時代にレスター伯として女王の寵愛をほしいままにすることになる。



超簡単・スピーディーにプロっぽいホームページを作成する方法・完全マニュアル



スポンサーサイト

Secret

TrackBackURL
→http://bxneko.blog12.fc2.com/tb.php/62-c4bb18a1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。