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2005.07.18 柴田 勝家


急に、昼間の暑さが身にしみてきたな。
梅雨は明けたようだし。


まあ、ともかく。
今回は織田の家臣の一人でも紹介しよう。


柴田 勝家


生没年:?~1583年


安土桃山時代の武将。
修理亮と称す。
1573年朝倉氏滅亡後、越前北庄(現、福井市)を拠って北陸を経営。
信長の死後、その三男信孝と結び、秀吉と対立。
賤ヶ岳の戦いに敗れ、北庄で自害。


賤ヶ岳の戦い
1583年(天正11年)、近江の賤ヶ岳付近で、羽柴秀吉が柴田勝家・佐久間盛政を破った戦い。
この戦いで、秀吉は実質的に信長の後継者の地位を固めた。


佐久間 盛政
安土桃山時代の武将。玄蕃允(げんばのじょう)と称す。
尾張の人。
織田信長に仕え、後に柴田勝家の仕えた。
勝家の先鋒となり、賤ヶ岳の戦いに敗れて斬首。


信長の妹、お市の方の2番目の旦那。
だから、茶々、初、江与の養父。



不運な人かな。この人も。
織田の家臣は大概不運かもしれないが。


この人はもとから織田に仕えていた、譜代家臣。
譜代家臣でありながら、信長にそれほど疎まれていなかったということは、それなりに有能だったのだろう。
お市の件にしても、信長の生前に決められたことという話もあることだし。


まあ、譜代家臣らしく、成り上がりの秀吉とは仲は悪い。
それが最後まで響いたような感じもする。
お市の方を望んでいた中には秀吉もいたというし。
(だからこそ、その代わりに市の娘である茶々を側室にした。)


信望がなかったのか、気位が高かったせいか、織田の家臣、同盟関係の中でも、味方がそれほどいない。
まあ、この人は多分、戦的なことではなく、内政的なもので有能だったのだろう。多分。


短いが、このくらい。










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