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鳥羽院の天皇にならなかった皇子や皇女らのことについて書いてみる。
後白河や崇徳の兄弟であるが、若くして亡くなった人も多いが、影で活躍している人がいるようだ。

禧子内親王
  生没年:1122年~1133年
 母は待賢門院。斎院


通仁親王
   生没年:1124年~1129年
 母は待賢門院。
 盲目であったという。
 1129年、逝去。


君仁親王
   生没年:1125年~1143年
 母は待賢門院。
 生まれながらに麻痺性疾患を持っていたという。
 1143年、逝去。


統子内親王
  生没年:1126年~1189年
 斎院、上西門院
 母は待賢門院。初名を恂子とも言った。
 1127年、賀茂斎院となる。
 1132年、病気で退下する。またこの頃、恂子から統子へと改名する。
 1157年、後宮へ。
 1158年、後白河の准母として皇后宣下を受ける。
 1159年、院号宣下。上西門院となる。
 1160年、母と同じく法金剛院にて出家する。
 1189年、六条院において崩御。
 絶世の美女で、かつ歌を能くしたといわれている。
 養子に後白河天皇、藤原家房がおり、猶子に僖子内親王(二条天皇皇女)がいる。
 法金剛院は上西門院の崩御により廃れていったという。


本仁親王
   生没年:1129年~1169年
 母は待賢門院である。五宮、紫金台寺御室、泉殿御室、覚性法親王と呼ばれた。
 1135年、仁和寺覚快法親王の下へ。
 1140年、出家し灌頂を受けた。法名は信法といい、のちに覚性と改めたという。
 1147年、阿闍梨となる。
 仁和寺、法勝寺などの検校を勤める。
 1153年、仁和寺寺務。更に尊勝寺・四天王寺などの検校を勤める。
 1158年、二品となる。
 1167年、仁和寺総法務(仁和寺第五代御室)となる。
 1169年、逝去。
 修法の声明高く、詔を受けて孔雀経法や尊勝法を二十四回修したという。
 



道恵法親王
  生没年:1132年~1168年
 母は美濃局(八幡別当・紀光清の娘)。
 1158年、四天王寺別当となる。
 1160年、親王宣下。のち園城寺長吏となる。


覚快法親王
  生没年:1134年~1181年
 母は美濃局(八幡別当・紀光清の娘)。
 青蓮院座主・行玄の弟子。
 大納言・藤原実行が養育したという。
 1146年、比叡山にて出家。阿闍梨となる。
 1170年、親王宣下。のち法眼となり、法性寺座主となる。
 1177年、延暦寺座主となる。
 1179年、延暦寺座主を辞職す。
 1181年、逝去。


叡子内親王
  生没年:1135年~1148年
 母は美福門院。養母は鳥羽天皇皇后・高陽院。
 高陽院姫宮と呼ばれ、泰子の寵愛を受けて育ったという。
 1148年、夭折。


子内親王
  生没年:1137年~1211年
 母は美福門院。
 両親の寵愛を受けて育ち、近衛天皇の崩御後に父・鳥羽院は彼女を次の天皇にすることを真剣に考えていたとも言われる。
 1138年、内親王となる。
 1146年、准三后
 1156年、鳥羽遺領のほとんどを相続する。
 1157年、出家。
 皇太子・守仁親王(のちの二条天皇)の養育を任され、またその異母弟・以仁王の養母となる。
 1161年、二条天皇が即位し、天皇の准母として院号宣下をうけ、八条院と呼ばれるようになった。
 後白河法皇の院政を影から支え、清盛すら彼女の動向は無視することは出来なかったという。
 1180年、以仁王が反平氏の兵を挙げたとき、八条院はひそかに支援をしていたとも言われている。
 清盛はそれに対しては社会的反響を恐れ、女院の行為を不問にしてしまい、全国各地の彼女の荘園には「以仁王の令旨」が回り現地武士団による反平氏蜂起が促されてしまう。
 のち、太秦の源光寺にて隠棲したという。
 1211年、逝去。


姝子内親王
  生没年:1141年~1176年
 母は美福門院。
 初名は寿子、乙姫宮とも言われた。
 1154年、内親王宣下。
 1156年、二条の皇太子時代に入内。のち、父・鳥羽院崩御。
 1159年、中宮の宣旨を受ける。
 1160年、病を理由に出家する。のち、母・美福門院崩御。
 1162年、院号宣下。高松宮と呼ばれる。
 1165年、二条上皇崩御。
 1172年、大僧都・澄憲の子・海恵を出産する。
 1126年、崩御。


頌子内親王
  生没年:1145年~1208年
 母は春日殿。
 1171年、約一月ほど斎院となる。
 五辻の斎院と呼ばれたという。
 鳥羽院の菩提を弔うため、高野山に蓮華乗院を建立したと言う。


妍子内親王
  生没年:?~1161年
 母は三条局。吉田斎宮と呼ばれた。


阿夜御前
   生没年:?~1195年
 母は美濃局。双林寺宮、賀陽院姫君とも呼ばれた。


最忠法親王
 母は待賢門院。


真誉
高松宮
道果親王

詳細不明。
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