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2006.02.08 鳥羽天皇
後白河天皇と崇徳天皇の父である鳥羽天皇について書いてみる。
自分が祖父にやられたことをそのまま自分の子であるかもしれない崇徳天皇にやった人。本当に白河院とよく似ている。保元の乱の原因に当たる一人。

宗仁親王

生没年:1103年~1156年
在位:1107年~1123年 第74代 鳥羽天皇

父:堀川天皇
母:藤原苡子(藤原実季の娘)

母の苡子が没すると祖父・白河法皇に引き取られ、法皇の下で養育された。
1107年、父・堀川天皇の死後、5歳で即位する。
政務は白河法皇が取った。
1113年、元服する。
1120年、祖父・白河法皇の養女で、愛人とも言われていた藤原璋子を皇后に向かえいれる。
藤原璋子の第一子・顕仁親王は当時から白河法皇の子であると噂され、そのことを知った鳥羽天皇は顕仁を「叔父子」と呼び終生憎んでいたといわれている。
1123年、鳥羽院が成人して扱いにくくなった事と顕仁可愛さに白河上皇は鳥羽天皇を退位させ、顕仁親王を即位させた。

1129年、白河法皇が崩御、それにより唯一の上皇となった鳥羽院は院政を敷いた。
白河法皇に疎んじられていた藤原忠実を呼び戻し、院の要職を事故の側近で固めた。
崇徳、近衛、後白河の三代、約28年に渡り実権を掌握する。
鳥羽天皇は内妾が多くその中でも寵愛した美福門院の子・躰仁親王を崇徳天皇の皇太子とした。
仏教に帰依し、成勝寺、延勝寺などを建立する。
1141年、出家する、法名を空覚と称した。そののち崇徳院を譲位させ、躰仁親王(近衛天皇)を即位させる。
1142年、東大寺戒壇院で受戒し、法皇となった。

1155年、近衛が夭折すると、崇徳天皇は重祚を望むが、鳥羽天皇は聞き入れず、美福門院の推す後白河天皇を即位させる。
崇徳上皇を疎んじ、鳥羽法皇の崩御直後に保元の乱が起こる原因を作った。
1156年、鳥羽の安楽寿院にて崩御。

熊野参詣を23度行い、笛に秀でていたという。



后妃:
中宮:
藤原璋子[待賢門院]   生没年:1101年~1145年
 藤原公実の娘。

皇后:
藤原泰子[高陽院]    生没年:1095年~1155年
 藤原忠実の娘。

藤原得子[美福門院]   生没年:1117年~1160年
 藤原長実の娘。

女御:藤壺女御(橘俊綱の娘)

女:
紀家子[美濃局](紀光清の娘)
三条局(藤原家政の娘)
春日局(藤原実能の娘)
土佐局(源満保の娘)
(藤原実衡の娘)



子:
顕仁親王   生没年:1119年~1164年  崇徳天皇
禧子内親王  生没年:1122年~1133年  斎院
通仁親王   生没年:1124年~1129年
君仁親王   生没年:1125年~1143年
統子内親王  生没年:1126年~1189年  斎院、上西門院
雅仁親王   生没年:1127年~1192年  後白河天皇
本仁親王   生没年:1129年~1169年  覚性法親王
道恵法親王  生没年:1132年~1168年
覚快法親王  生没年:1134年~1181年
叡子内親王  生没年:1135年~1148年
子内親王  生没年:1137年~1211年  八条院、二条天皇准母
躰仁親王   生没年:1139年~1155年  近衛天皇
姝子内親王  生没年:1141年~1176年  高松院、二条天皇中宮
頌子内親王  生没年:1145年~1208年
妍子内親王  生没年:?~1161年      吉田斎宮
阿夜御前   生没年:?~1195年
真誉
高松宮
最忠法親王
道果親王
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