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2006.02.06 安徳天皇
悲劇の幼帝と称された天皇。そのためかいろいろな説がある。
その他高倉天皇皇女のことも書いてみる。

言仁親王
 生没年:1178年~1185年
 在位:1180年~1185年、第81代 安徳天皇

父:高倉院
母:平徳子(平清盛の娘)

 1178年、生まれると同時に親王宣下され、そののち立太子。
 1180年、践祚し、2歳で即位する。
 当然のごとく、実祖父である平清盛が実権を握ることとなる。
 福原に遷都するが、間もなく還都された。
 1183年、源義仲の入京に伴い、三種の神器と共に都落ちする。
 平家一門に連れられ、大宰府を経て屋島へ行き、行宮を置いた。
 しかし屋島の戦いにて、平家が負けると西海へ逃れた。

 1185年、壇ノ浦の合戦にて二位尼と共に入水し崩御。享年8歳。歴代最年少での崩御とされる。
 この際三種の神器のうち、神璽と宝剣が海底へ沈んでしまう。神璽は引き上げられたが、宝剣・草薙剣は失われた。
 安徳天皇は壇ノ浦で死なず、九州四国などに生き延びたという伝説が数多く残っている。(一応、墓が赤間神社にもある)
 女子説、はたまた、徳子とその兄・平宗盛の不義の子であると言う説まである。
入れ替わり説なども数多くあるようだ。



功子内親王   生没年:1176年~?
 在位:1177年~1179年 高倉天皇斎宮
 母は藤原公重の娘。
 惇子内親王の死により斎宮となる。
 母喪により退下。斎宮へは赴かなかったという。



範子内親王   生没年:1177年~1210年
  在位:1178年~1181年 賀茂斎院
 母は小督局。坊門院、斎院。
 猫間中納言・藤原光隆の七条坊門第において養育されたため、猫間斎院、又は六角宮と称された。
 1178年、内親王宣下。後に賀茂斎院にト定される。
 高倉院崩御により退下。
 1198年、土御門天皇准母となり皇后となる。
 1206年、院号宣下により、坊門院と称された。
 1210年、崩御。
 


潔子内親王   生没年:1179年~?
 在位:1185年~1198年 後鳥羽天皇斎宮
 母は藤原頼貞の娘。
 後鳥羽天皇の斎宮。
 後鳥羽天皇譲位により退下。

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