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2006.01.30 二条天皇
後白河院の息子であった二条天皇について書いてみる。
後白河と平家の間だけでなく関白らの間にも挟まれてしまい結局何もできなかった人かな。祖父・鳥羽天皇のとおりにはならなかったしね。

守仁親王

生没年:1143年~1165年
在位:1158年~1165年、第78代六条天皇

父:後白河院
母:源懿子(大炊御門経実の娘)

后妃:
太皇太后:藤原多子   生没年:1140年~1201年
 藤原公能の娘、内覧左大臣・藤原頼長の養女。元近衛天皇中宮。高松院。

中宮:
姝子内親王  生没年:1141年~1176年
 鳥羽天皇皇女。
藤原育子   生没年:1146年~1173年
 藤原実能の娘。養父に関白・藤原忠通。

后:伊岐致遠の娘


鳥羽天皇の皇后・美福門院得子に養育される。
1155年、後白河天皇の皇太子となる。
1158年、保元の乱に勝利した父・後白河上皇から譲位されて即位する。
しかし後白河による院政が行われた。
和歌を好み、内裏では百首歌や歌会をしばしば催したという。
藤原伊通ら近臣は二条の新政を望み、院政に対抗した。
新政を目指し、父・後白河院と対立し、関白基実、太政大臣・藤原伊通を重用した。
しかし、白河院の権力には勝てず、二条天皇の新政は行われなかった。
1159年、平清盛の熊野詣のために京都を離れると、院近臣の藤原信頼、源氏の源義朝らが挙兵して平治の乱が起こる。
二条らは信頼に確保されるが、清盛が帰還すると六波羅邸へ避難する。
清盛ら平家により乱は鎮圧される。
清盛の支持を得て後白河との二等政治が始まる
1161年、後白河が院政を停止して新政を開始する。
1165年、病弱だったため、順仁に譲位する。
その一月後に押小路東洞院にて崩御。



子:
僐子内親王  生没年:1159年~1171年
 斎院

順仁親王  生没年:1164年~1176年
 在位:1165年~1168年、第79代六条天皇

母は伊岐致遠の娘。准母に藤原育子。
一歳を待たずして立太子し、二歳で即位する。
政務は祖父・後白河法皇が院政をしいた。
二年半後、平家の推す高倉天皇に譲位する。
13歳で死去する。そのため、后妃もなく、遺児もなし。

尊恵 生没年:1164年~1192年
母は馬助光成の娘?。大僧正。
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