上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
平時忠の兄弟である、平時子、平滋子、平親宗などのことを書いてみる。公家方である為か、時子以外は時忠ほど清盛方ではないようだな。

平時子   生没年:1126年~1185年

父:平時信
母:藤原家範の娘

夫:平清盛

子:平宗盛、平知盛、平徳子、平盛子、平重衡

平清盛の正室、従二位。『二位尼』『二位殿』と呼ばれた。
高棟王系の公家の娘。母は二条大宮(令子内親王)に仕えていた半物と言われる。
1146年ごろ、平清盛の後妻となった。
清盛との夫婦仲はよく、知盛、徳子など相次いで出産する。
時子の出産した子供達は、その後平家一門を支える存在となっていくこととなる。
宗盛らは朝堂に登場し、盛子が摂政・藤原基実の室となる等、時子らの子らによって平氏は咲く花が如くその栄光を謳歌する。

1160年、二条天皇の典侍御乳母として、八十島祭使を務め、従三位に叙される。
1168年、清盛が大病に罹り出家すると、時子も清盛に従い出家する。
1171年、徳子が高倉天皇に入内すると、時子は中宮の生母として従二位への昇進を果たすことになる。
1178年、徳子が言仁親王を出産する。

1179年、盛子が死去すると、盛子が相続していた摂政領を巡り、後白河法皇と対立。
ついには清盛によるクーデターが実行されるなど、平氏の栄光に翳りが見え出す。

1180年、言仁親王が安徳天皇として即位する。
ここに時子は天皇の外祖母と言う地位に就くのであった。
一方では清盛による反発は更に高まり、各地で反平氏の活動が活発になる。
1181年、清盛が死去。
それに伴い時子は『家刀自』として平家一門を束ねる存在となる。

しかし時子らの願いはむなしく、反平氏の勢いは止まるところは知らない。
1183年、源義仲が都に迫り来るに至り、都落ちを決断する。

1184年、一ノ谷の合戦で源氏方に生け捕りされた重衡を助けるために、『三種に神器』との交換を持ちかける。
しかしこれは、宗盛と知盛に阻まれ実行されなかった。

1185年、壇ノ浦の合戦において、平氏軍の最後の戦いが敗れ去るのを見届けた時子は、神璽を脇に、宝剣を腰に差し込むと幼い天皇を抱き寄せた。
「尼ぜ、われをばいづちへ具していかむとするぞ」
「浪の下にも都のさぶらふぞ」
こうして時子は、安徳天皇を抱いたまま海の波間へと身を投じたと言う。
時子の人生はまさに平氏一門と共にあったのである。
時子の亡骸は宮島の有の浦に流れ着きいたという。そこには「二位殿灯篭」が立てられ、「二位殿の州」「尼の州」と呼ばれている。



平滋子    生没年:1142年~1176年

父:平時信
母:藤原祐子(藤原顕頼の娘)

夫:後白河上皇

子:憲仁親王(高倉天皇)   生没年:1168年~1180年
猶子:承仁法親王
 後白河天皇皇子、生母は丹波局。


初めは後白河天皇の同母姉・上西門院統子内親王の女房であり、小弁局と称した。
後白河上皇と上西門院が同殿していたため、上皇の目にとまり寵妃となったと言う。
1161年、憲仁親王(後の高倉天皇)を生み、東御方と呼ばれた。
1166年、従三位に叙され、皇太子の生母の資格により後白河上皇の女御となる。
1168年、高倉天皇の践祚がなり、皇太后の尊号が贈られる。
1169年、建春門院の院号宣下があり、女院に列せられる。
1176年、後白河五十の賀の後、間もなく病に伏し、最勝光院南御所において崩御。

後白河上皇の最愛の女性として知られる。
時子・滋子は対照的な性格容貌で、美人で上品な滋子に対して、時子は目立たない娘であったと言う。
平家の中でも彼女等の家からは格下であった清盛がかしこみながらも求婚に来たとき、父・時信はてっきり滋子を貰いに来たと思い断ったといいます。



平親宗   生没年:1142年~1199年

父:平時信
母:藤原家範の娘

子:平親国、平親長、平宗宣、
建春門院新中納言
(平惟盛妾)
(西園寺公経妾)

時子と時忠の同母弟。後白河上皇の近臣。
1160年、叙爵、伯耆・讃岐守を歴任する。
1172年、右中弁に補され、蔵人頭を経て参議となる。

姉の時子が清盛の正妻にもかかわらず、後白河院に近習として、院の皇子・承仁法親王の養育に当たる等、平家一門とは一線を画す態度を示していた。
1179年、清盛のクーデターにより他の近臣と共に解官される。
1180年、福原遷都の際、京に留まっていた。
1187年、左大弁、丹波権守、伊予権守などを歴任。
やがて正二位中納言まで昇る。



平盛子   生没年:1146年~1178年

父:平時信
母:藤原祐子(藤原顕頼の娘)
夫:平宗盛
子:平清宗

平宗盛の先妻。
1166年頃、憲仁親王の乳母となり、従五位上に叙される。
賀茂祭で勅使を務め、正五位下に昇叙される。
1171年、嫡男・清宗を生む。
1178年、再び懐妊し、同じ頃に誕生予定の中宮・徳子の皇子の乳母に内定していたものの、出産直後に急死した。



娘(建春門院冷泉)
娘(建春門院帥佐)

スポンサーサイト

Secret

TrackBackURL
→http://bxneko.blog12.fc2.com/tb.php/288-f956ade7
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。