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2005.12.22 平基盛
平清盛の息子で重盛の弟であった基盛のことでも書いてみる。

平基盛

生没年:1139年~1162年

父:平清盛
母:高階基章の娘

重盛の同母兄弟とされているが、一説には養子という話もある。
幼名は香王。通称を安芸判官といった。

1155年、検非違使左近衛少尉。
1156年、保元の乱に際して、父・清盛と共に後白河天皇方として参加する。
若干17歳ながら宇治路の警護に当たった。
その最中、東山法住寺辺りで大和国の有力者で京に潜伏していた宇野親治を捕らえた。
その功により、従五位下に叙され、そののち蔵人を補任される。

1159年、平治の乱にも出陣している。
以降平家一門の繁栄に伴い、大和守、遠江守、越前守を歴任、正四位下まで昇進する。
1162年、24歳の若さで早世。
一説には宇治川を騎馬で渡河しようとした際溺れ死んだとしており、これは崇徳上皇と藤原頼長の怨霊のせいでもあるという。




子:
平行盛
生没年:?~1162年
 父が若くして事故死した後、その菩提を弔いながら過ごしていたという
 それを憐れんだ伯父・重盛によって養育された。
 平家一門の繁栄に伴い、左馬頭、播磨守に任官された。
 また歌人としても名を上げた。
 源平合戦においては、倶利伽羅峠の戦い、三草山の戦い、藤戸の戦い、屋島の戦いなどに参加している。
 特に藤戸の戦いにおいては、大将軍として佐々木盛綱率いる源氏方と対戦している。
 1185年、壇ノ浦の戦いにおいて、最終的な敗北を喫し、従兄弟の資盛、有盛と共に入水自殺している。
 一説には、信基という男児がおり、種子島に渡って種子島氏の祖となったといわれている。

(藤原季能室)

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