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2005.11.25 静御前
NHK大河ドラマも後数回で終わるな。
と言うことでその中の人たちのことでも書いてみよう。
源頼朝義経は前に書いたので、義経の愛妾といわれた静御前のことでも書いてみる。

静御前

生没年:1165年?~1211年?

母:磯禅師
 白拍子の祖とされる女性。


「義経記」によると日照りが続き、僧の読経で効果が無かったため、後白河上皇が100人の容姿端麗な白拍子を舞わせ雨乞いをした。
99人までは効果が無かったが、静かが舞うとたちまち雨が降り出した。
そのことで上皇から「日本一」の宣旨を賜ったと言われている。
この頃、京にいた義経は、そのときに見初めたそうだ。
また、平家追討の祝賀の席にて出会ったとも言われている。

静を愛妾に迎えた少し後に、義経は頼朝より正妻を迎えていたような気もするが、それほどの対立はあったとは聞かないな。
双方共に引いていたのか、もしかしたら仲が良かったのかもしれないな。
ありえないかもしれんが。

源平合戦後、御白河上皇と源頼朝の間に挟まれ、兄・頼朝と対立が深まりつつあった。
義経が京を落ちて、九州へと向かう際、同行するが、義経の船団は嵐に遭難し戻されてしまう。
吉野で義経と別れ京都へ戻る途中、山中で僧に捕らえられ、北条時政に引き渡された。
後、鎌倉まで送られる。
鎌倉で義経のことを詮議された後、鶴岡八幡宮の白拍子舞を命じられた。
静かは義経を慕う歌を謡い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子のとりなしで助命された。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづしづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」

この頃、静かは身ごもっていた。
しかし、生まれた子が男子だったため、由比ヶ浜に沈められたという。
この後は京へと戻されたと聞く。
しかしいろいろな伝説があり、義経と合流したとも。
また合流する前に義経の訃報を聞き自害したとも言われ、静の墓などは多数存在している。




白拍子舞は、神事に使われていたという事は巫女舞に近かったんだろうかね。
出なければ、雨乞いにも鶴岡八幡宮への奉納舞にも使えないだろう。
と言うことは、NHKで舞っていたのは何に相当していたのだろな。
舞指導は能楽関係者のようだったし。

後、少し気になったこと、白拍子と言えば遊女に相当していたはず。
それなのに、白拍子と言う職業は遊女と言うようにはあまりイメージがわかないのはなぜだろう。
遊女の中で踊れるものが白拍子として活躍していただろうが。
やはり切り離して考えたほうがいいのか。
下手をすると祇園の芸子が白拍子に相当するのだろか。ある意味。
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