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少弐氏らと鎮西探題を攻めた大友貞宗について書いてみる。

大友 貞宗

生没年:?~1334年

父:大友 親時
母:戸次 親時の娘

子:
大友 貞順
大友 貞載
大友 氏秦
大友 氏時


1311年、兄・大友貞親が死去したため、その後を継いで当主となる。
鎌倉幕府が派遣してきた鎮西探題・北条英時(赤橋英時)に仕えていた。

1333年、後醍醐天皇の光命を受け、攻めてきた菊池武時や少弐貞経らを英時と共に敗走させた。
その後も九州における倒幕軍の追討に務めた。
しかし、京都の六波羅探題が、足利尊氏によって攻略され、討幕軍の優勢が九州まで伝わると、貞宗は少弐貞経や島津氏らと共に英時と離反して攻め滅ぼした。
この功績により、豊後国の守護職を与えられた。
これはただの利害損得のためではなく、天皇親政下での武士の立場と、武家政権下での武士の立場を考えて、いかにすれば一族の繁栄がもたらせるかという、総領の責任を全うしたためともいわれている。

しかし上洛後、病により、京都南禅寺聴松院で没する。
急死のため、まるで英時の亡霊による祟りと噂されたそうだ。



大友 氏秦

生没年:1321年~1362年

父:大友 貞宗
母:少弐 貞経の娘


幼名は千代松丸。父・貞宗が鎮西探題・北条英時を攻める前に決死の覚悟で幕府に反逆しようとする父から家督を譲られる。
五男であった氏秦に家督が譲られたのは、当時成人していた兄たち4人より、幼少の氏秦の方が仮に自分が敗死しても、その後幕府から咎められて取り潰される可能性が低いであろうと考えたためといわれている。
後、父は京都で急死し、正式に当主となった。
しかし、まだ幼少のため兄・大友貞範が補佐としていた。

中先代の乱後、足利尊氏が後醍醐天皇に叛いて九州へ落ち延びてきた時は、尊氏の再挙に貢献した。
その功績により、室町幕府開幕後。豊後のほか肥前・豊前・日向の守護にも任じられた。
1362年、死去。家督は弟の氏時が継ぐ。




大友氏
 大友氏は鎌倉から戦国時代にかけて、九州の豊後を中心に栄えた一族。
 初代の中原能直が母方の生家の波多野経家の相模国大友荘を有していたことから大友能直と称したのが始まりとされる。
 大友能直は源頼朝の落胤であり、源氏と称していたが、これは虚偽であり、もとは奥州藤原氏であるという。
 
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