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2005.11.18 今川 貞世
南北朝時代、九州で活躍していた今川貞世のことでも書いてみる。

今川 貞世

生没年:1326年~1420年

父:今川 範国
妻:女(出羽守・土岐頼雄の娘)

子:
今川 貞臣
名和 貞継(伊予守)
今川 言世(左馬頭)
尾崎 貞兼(左京亮)

養子:
今川 仲秋
 今川範国の子。




幼名六郎。
幼少の頃より、賢明であったという。
また和歌を祖母の香雲院や京極為基、冷泉為秀らに学び、連歌では二条良基らに学んだという。
禅や儒学などにも精通していたという。

父・範国は貞世に家督を継がせようとしていたが、兄・範氏に譲り自分は受けようとはしなかった。
範氏が若死にし、父はまたも貞世に相続させようとしたが、範氏の遺児、氏家がいたためそれに譲った。
範国は、これにいたく感心し、「今から後、当家の重大問題は、貞世の指図に従え」との遺言を残したという。
氏家がまたいくばくのなく死んだ後、一時貞世の長男・義範を駿河守護に継承させたが、鎌倉建長寺の僧であった範氏の二男を還俗させ、駿河今川家を継がせた。

足利家内部の対立による観応の擾乱では尊氏方に従っていた。
そのため、直義や南朝方勢力と戦ったという。
1355年、細川清氏と共に東寺合戦で戦う。

幕府執事であった清氏が失脚し南朝へと下ると、父の命により講和の呼びかけのため、遠江から召還される。
足利義詮に仕えて、侍所所司・引付方頭人・山城守護となった。
1367年、義詮の死に伴って、出家剃髪し、了俊と号した。

1370年、3代将軍・義満に時代、管領の細川頼之の推薦により渋川義之の後任として九州探題に任じられる。
この頃の九州は1361年以来、南朝の征西将軍・懐良親王と菊池武光が太宰府を制圧しており、南朝勢力が強かった。
領国に加えた安芸、備後の国人領主を動員し、また大友義弘の協力を得て、太宰府の攻略を開始する。
阿蘇氏の協力を得て豊後の菊池氏を攻め、松浦党の協力を得て太宰府を攻めた。
1372年、懐良親王、菊池武光らを筑後高良山から菊池氏本拠の肥後隈部まで追い詰め、征西府から太宰府を奪還し拠点とした。
ほぼ九州全土を室町幕府の支配下に治めることができた。

1374年、戦局は肥後へと移り、水島まで出兵する。
1375年、水島においての会戦に備え勢力結集を計り、九州三人衆と呼ばれる大友親世、少弐冬資、島津氏久らの来援を呼びかけた。
九州探題と対立していた少弐冬資は着陣を拒むが島津氏久の仲介で来陣した。
しかし、水島の陣において了俊は宴の最中、冬資を謀殺、この事により氏久は離反して帰国してしまう。
島津氏はこれ以降了俊の九州経営には抵抗するようになる。

貞世は懐良親王を示すとされる「日本国王良懐」を冊封するために派遣された明使を抑留する。
高麗の使者・鄭夢周とも接して独自の交渉を行った。
1392年に李氏朝鮮が成立しても交渉を継続したという。
大内氏に呼びかけて倭寇を鎮圧し、倭寇に拉致されていた高麗人の送還などを行い、『大蔵経』を求めた。

1495年、義満の召還により、京都に戻った了俊は九州探題を罷免される。
九州探題の後任には渋川満頼がなる。
これは、了俊の後ろ盾であった細川頼之が失脚し死去しており、また、反細川派の斯波義将が管領となっていたためである。
斯波義将が管領になったことで政界構造が変化して支持を失ったこともある。
また南北朝合一を達成して将軍権力を確立させた義満が、了俊の九州における勢力拡大や独自の外交権の確保などを危険視した為とも言われている。

了俊は、駿河半国の守護として赴任し甥の今川秦範と領地を分けることとなる。
後任の探題職を望んでいた大内義弘は大友氏や了俊に対して連合を持ちかけるが、了俊は拒絶する。
守護職として駿河統治のみに従事する。

1399年、大内義弘が堺で挙兵し、応永の乱が起こる。
了俊は鎌倉公方の足利満兼の乱に呼応するように呼びかけたといわれ、義満に関与を疑われる。
乱は翌年平定するが、鎌倉公方を補佐する関東管領の上杉憲貞に対して了俊追討令が出される。
了俊は、憲定や一族の助命嘆願で許される。
1402年、上洛し、政界には関与しないことを条件に赦免された。

晩年には学者として著作に専念したという。
その中の『灘太平記』は、古典『太平記』を難ずる意味の歴史書で、応永の乱における自らの立場や、太平記に記されていない一族の功績などを記しており、太平記よりも歴史書として価値が高いという。
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