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2005.11.14 阿蘇親子
南北朝時、おおむね南朝側についていた九州内勢力の阿蘇氏のことでも書いてみる。

阿蘇 惟時

生没年:?~1353年

父:阿蘇 惟国

子:
阿蘇 惟直
阿蘇 惟成
(阿蘇 惟澄の室)
 
別名宇治惟時。
1333年、元弘の変を機に後醍醐天皇の綸旨を受けて倒幕軍に寝返る。
上京し、六波羅探題攻略に参戦する。
後、建武政権に背いた足利尊氏との戦いにも参戦した。
その後、この阿蘇惟直に家督を譲って隠居する。

1336年、惟直が多々良浜の戦いに敗れ自殺したため、再び家督を継ぐことになる。
しかし、尊氏の調略により阿蘇氏の庶子家・坂梨孫熊丸が相続者として大宮司に選ばれたため、阿蘇氏内部で内紛が発生する。
武家方の孫熊丸、中立の惟時、宮方として目覚しい活躍をしている惟澄の三派に別れてしまう。
惟時は、孫熊丸が惟澄に討たれると、阿蘇家の分裂を恐れやむなく北朝側へ寝返った。
1349年、再び南朝側へ帰順する。
1351年、家督を養嗣子の阿蘇惟村に譲った。
しかし、惟村の実父・阿蘇惟澄が実権を握り当主となってしまう。
1353年、死去。



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阿蘇 惟直

生没年:?~1336年

1333年、幕命を受けて阿蘇惟澄と共に楠木正成が立てこもる千早城攻めに参戦しようとしたが、護良親王の綸旨を受けて討幕計画を立てる。
これは北条氏による圧迫を跳ね返し、自らの支配権を取り戻そうとしたためであった。
しかし、九州における討幕運動においては、鎮西探題の北条英時の鎮圧を受け、失敗する。
共に計画を立てていた少弐氏・大友氏が兵をあげなかったためでもある。
共に兵を上げた菊池武敏と共に日向鞍岡城に逃れた。
しかし、鞍岡城も北条英時の追撃に遭い落城する。

足利尊氏が幕府を裏切り六波羅探題を落とした後、少弐氏、大友氏が立ち上がり、北条英時を滅ぼす。
このときは阿蘇氏、菊池氏は前の痛手を受けたままであり、参戦は出来なかった。
しかし、建武政権は阿蘇氏の功を認め、旧領を安堵され、さらに豊前国、筑前国などの地頭職を得た。
1336年、九州に落ちてきた足利尊氏と多々良浜にて戦ったが、敗れ、肥前国小城郡天山にて自害。




阿蘇氏
 古代多氏の後胤と伝え、阿蘇国造の流れを汲むという。
 元は肥後阿蘇神社の大宮司。
 中世、武士団を構成、在地領主として力を伸ばす。
 南北朝内乱期には南北両軍に分かれたが、その去就が九州に軍事情勢を左右した。
 やがて大名にまで発展した。

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