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2005.11.10 夢窓疎石
後醍醐天皇、足利尊氏・直義らが帰依した臨済僧・夢窓疎石のことでも書いてみる。

夢窓疎石

生没年:1275年~1351年

父:佐々木 朝綱
母:平政 村氏の娘

夢想は号。疎石が名。
伊勢に生まれた。
母の一族の争いで甲斐に移り、9歳で出家した。
1283年、平塩山寺に入門して空阿に支持し天台・真言を学ぶ。
1292年、京都の東大寺で受戒し、禅に帰依した。
一山一寧・高峰顕日らに参じて高峰の法を嗣いだ。
1305年、浄智寺で印加を受ける。
甲斐・龍山庵、美濃・虎渓庵、土佐・吸江庵、上総・退耕庵、相模など各地の寺庵に滞在する。

権勢に近づくことを好まなかったらしいが、1325年、後醍醐天皇の勅請により南禅寺に往山する。
翌1326年、ついで北条高時の請によって円覚寺に往山する。
高時や北条貞顕からの信仰を得る。
1330年、恵林寺を開く。
鎌倉幕府滅亡後は京都に臨川寺を開創し、南禅寺に再往した。
臨川寺・西芳寺の開山にも迎えられ、国師号を授けられた。

建武の新政瓦解後は足利尊氏・直義の帰依を受ける。
夢想は、足利家とも縁があり、足利家の内紛である観応の擾乱では調停を行い、北朝方の公家や武士が多く帰依した。
戦没者の霊を弔うために諸国に安国寺、利生塔を建立させた。
後醍醐天皇の没後、冥福を祈るために天龍寺を建立させ、その費用を得るために天龍寺船を明に派遣させた。



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夢窓は門弟の養成に才能があり、その数一万人を超えたとも言われている。
無極志玄、春屋妙葩、義堂周信、絶海中津、龍湫修沢などの禅傑が排出し、後の五山文学の興隆を生み出した。
造園の才にも富み、禅の構想による造園をなした。苔寺で知られる西芳寺、天龍寺などがその遺構を残している。
1351年、寂。

生前には三つの国師号がおくられ、寂後に四国師号をおくられ、世に七朝帝師と称された。
夢窓、正覚、心宗、普済、玄猷、仏統、大円の七つの国師号が送られた。
その門派は後に五山派の主流となった。




五山文学
 鎌倉末・南北朝時代を中心に行われた、鎌倉および京都の五山十刹の禅僧の漢詩文。
 広義には同時代の禅林文学を総称。
 日記、語録、漢文、漢詩があり、虎関師錬、義堂周信ら多数の作家が出る、江戸時代の儒学勃興の基をなした。

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